墨田区の初期は2区構成だった!?
2022.06.29
墨田info
現在、墨田区は26町丁で構成されているそうです。
1943年(昭和18年)ごろの墨田区は、『本所区』・『向島区』の2区だったそう。
本日は行政区画によって変化していった墨田区の町の歴史について調べてみましたよ!
明治維新以降
江戸が「東京」と改称されたのは慶応4年(1868年)東京府が設置された(慶応4年9月8日に「明治」と改元)。
現・墨田区域のうち、町奉行支配地であった本所地区は東京府に編入。
代官支配地であった小梅村などの17村は武蔵知県事の管轄を経て、明治元年11月(1868年12月)、東京府に編入された。
明治11年(1878年)11月2日、東京府下に15区6郡が置かれた。墨田区の前身にあたる2区のうち本所区はこの時設置された。
また、向島地区の各村は南葛飾郡の所属となった。
市制町村制以降
明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、同年5月1日、東京市(15区からなる)が成立。本所区は東京市の区となった。
向島地区の旧村は、一部は本所区に編入され、残りは廃置分合により隅田村、寺島村、吾嬬村、大木村の4村に再編された。
隅田村と寺島村は大正12年(1923年)、吾嬬村は大正元年(1912年)に町制を施行、大木村は荒川放水路開削に伴い大正3年(1914年)廃村となっている。
昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。
この時、従前の隅田町、寺島町、吾嬬町の3町の区域をもって向島区が新設された。
昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、本所区、向島区を含む35区は東京都直轄の区となった。
情報 ☞ 『Wikipedia 墨田区の町名』
今回は墨田区全体の歴史を見てみましたが、各町丁ごとにも歴史がいろいろありそうです!( ..)φ
管理部 : 石塚
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