昔の「もなか」は餡なしです。
2022.06.23
暮らしの情報
先日、大福を食べていると、『そういえば、“もなか”って昔はあんこが入っていなかったそうだよ』と言われました。
物心ついてから、あんことセットになっているものを“もなか”として食べてきていたので、そんなことがあったなんて意外でした。
和菓子それぞれに色んな歴史がありそうです。
そのルーツが知りたくて、その時食べていた大福ではなく、“もなか”を早速調べてみましたよ 笑
“もなか”にも季節があるそうですよ ☞ ☞ ☞
もなかの由来
「もなか」という名前の由来は平安時代にさかのぼります。
宮中で月見の宴をした時に源順(みなもとのしたごう)という歌人が「水の面に 照る月なみをかぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける」詠んだのだそうです。(拾遺和歌集)
最中の月は十五夜の満月を意味するのだそう。
その宴で出された白い丸餅の菓子が丁度中秋の名月に似ていたことから、その餅菓子を見て公家たちが「もなかの月」と言ったことから、そのまま菓子の名前となっていったようです。
後に円形でないもなかが出回り始めてからは、「最中(もなか)」という名称に変わっていったようです。
現在のもなかの原型
江戸時代の中期、吉原(浅草あたり)の「竹村伊勢」という煎餅屋で売り出されたのが現在のもなかの起源となる干菓子です。
「最中の月」というネーミングで、作り方はもち米粉に水を加え、こねたものを蒸し、その後それを焼いて砂糖をまぶしただけの干菓子。
まだこの頃はもなかにあんは入っていなかったのです。
ところが同じ江戸時代に現代のもなかのまさしく起源と言われるような菓子も登場しました。それが「最中饅頭」です。
日本橋のあたりで販売されていたとの事ですが、干菓子「最中の月」であんを挟んだお菓子のことを指します。
もなかが現在の皮種の形に仕上がったのは明治時代になってからなのだそうです。
情報 ☞ 『japaswee』
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