墨田区が発祥
2021.05.19
墨田info
D-colorがあるここ墨田区。
現在はスカイツリーのおかげで観光地化され、とても有名になりました。
ひと昔前までは、「浅草の近く」とか「隅田川の花火大会」などのイメージが強く、なんとなく歴史ある下町?というざっくりなイメージを持たれている方が多かったのではないでしょうか?
私は墨田区出身者なので実際にそのようなイメージを持たれていたことを実感してます^^;
なんとなく歴史ある下町・・・ではなく、本当に歴史が深い街なのです!!
本日はそんな墨田区が発祥のものや歴史を少しご紹介したいと思います。
江戸前握り寿司
江戸三鮨(毛抜鮓・与兵衛寿司・松が鮨)の1つで握り鮨の元祖として有名なのが与兵衛寿司(よへえすし)
1824年に両国の回向院前に花屋の屋号で創業した小泉与兵衛(華屋与兵衛)という人が「与兵衛寿司」というお店を開いたのが始まりと言われています。
ワサビを寿司に使い始めたのもこの華屋がきっかけなのだとか。
握り寿司はその華やかな見た目や味の良さから江戸庶民の間でもてはやされ、たちまち人気になりました。
※回向院は与兵衛が創業
大相撲
与兵衛が創業した両国回向院(えこういん)。
境内で勧進相撲が行われたことが現在の大相撲の発祥とされており、それがきっかけで両国国技館が建設されました。
そのため、回向院には「力塚」が建てられています。
近代軽工業発祥の地
隅田川沿いの別荘地であった墨田区も、明治政府の殖産興業政策により近代軽工業発祥の地となります。
1880年代:鐘淵紡績/現在のKANEBO(カネボウ)創業。
→鐘ヶ淵に東京綿商社として創立し、紡績工場を89年に完成させる
1890年代:精工舎/現在のSEIKO(セイコー)設立。
→本所石原町で掛け時計の生産を開始
1923年代:長瀬商店 吾嬬町工場/現在の花王 東京工場 操業開始。
そのほか、大正時代にはライオン石鹸・資生堂・ミヨシ石鹸などの石鹸メーカーが区内に立地したそうです。
現在も松山油脂・玉の肌石鹸・NSファーファ・ジャパンなど石鹸の製造販売をする企業が複数あります。
そして1949年には朝日麦酒(現在のアサヒビール)吾妻橋工場の操業など大工場の他、メリヤス、皮革、機械、金属製品の製造・加工、印刷業などの中小零細の製造業が多く集まる地域となりました。
墨田区には優秀な縫製職人がいるため、イッセイミヤケの洋服の縫製も墨田区の企業が何社か担当。
そのためスカイツリーのショッピングモール東京ソラマチには「プリーツプリーツイッセイミヤケ」が出店しているのだそうです。
いかがでしたでしょうか?
墨田区は古くからものづくりのまちとして知られ、今なお多くの職人たちが伝統の技を継承し活躍しています。
職人たちによるすぐれたモノづくりを間近に感じることができるのも、すみだ産業の特長の1つなのかもしれませんね(^^♪
経理部 : 百目木ゆ
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